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田中ファームの歴史
田中ファームの始まりから現在まで、その歩みを辿ってみましょう。

田中ファームの始まりは、現在のオーナーであるグレン・田中の祖父であるタケオ・田中から始まります。彼は広島県からアメリカに移住してきた日系一世(最初の移民世代)で、1900年代初頭に渡米しました。
様々な経緯を経てカリフォルニアに辿り着いた後、小さな農場で農作業に従事していました。1922年にタケオの息子であるジョージ(グレンの父)がカリフォルニア州ディヌバで生まれました。ジョージは日系二世(アメリカで生まれた第二世代)です。


1941年、ジョージはカリフォルニア州ラ・ハブラで自身の所有するトラックを使い、農作物の出荷を始めました。
しかし1942年、第二次世界大戦中の日系人強制収容所に入れられるのを避けるため、ジョージはユタ州へ逃れます。そこで、後に妻となるクリス(グレンの母)と出会います
1945年、戦争が終わると、ジョージとクリスはカリフォルニア州オレンジカウンティに戻り、ファウンテンバレーに住みながら、トマトや野菜、いちごなどを育てる農業を様々な土地で営みました。
そして1957年、ファウンテンバレーでグレン・田中が誕生しました。グレン(以下ファーマー田中)は日系三世(第三世代のアメリカ生まれ)です。


1977年から1990年代にかけて、ファーマー田中はトマトといちごの卸売栽培を手がけ、最大で300エーカーもの農地を管理するまでに成長しました。さらに、全米に向けた自社でのパッキングおよび流通も開始しました。
ファーマー田中はカリフォルニア州立ポモナ校で農業経営学を学びました。そこで、栄養学を学んでいた将来の妻、シャーリーと出会います。シャーリーも日系三世であり、カリフォルニア州リバーサイドで農業に携わる家庭で育ちました。
“この親にしてこの子あり”——1983年、ファーマー田中とシャーリーの間に長男ケニーが誕生しました。1986年にケニー(以下ファーマー・ケニー)が幼稚園に通い始める頃には、アグリツーリズム(農業体験型観光)という新たなビジネスモデルが、いよいよ現実になろうとしていました。
1996年、ストロベリー・ファームズ・ゴルフコースが農地の70エーカーを取得し、残りの30エーカーはアーバイン市に引き継がれました。
それから2年後の1998年、都市開発の影響により、ファーマー田中はアーバインのアーバインセンター通りとベイクパーク大通り周辺にあった農場を、現在のストロベリー・ファームズ通りの土地へと移転しました。そして、卸売中心の農業から、責任ある農業(Responsible Farming)とアグリツーリズムへの転換が始まったのです。現在、農場はアーバインの中心にある美しい丘陵に広がっています。
オレンジカウンティの急速な開発の中で、こんなにも美しい農場が今も残っているなんて、本当に信じられないことです!

ファーマー・ケニーは日系四世で、アーバインの学校で教師をしている妻クリスティーンと結婚しました。二人の間には、ランドン、ケイリー、KJという三人の子どもたちがいます。三人とも日系五世(ゴセイ)で、今では「ファーマー・ランドン」「ファーマー・ケイリー」「ファーマー・KJ」として田中ファームを盛り上げています。
2003年には、いちご狩りツアーの人気が急上昇し、数百人だった来場者が何千人にも増加しました。現在も、毎年多くの家族や学校が南カリフォルニア中から田中ファームに訪れています。
近年の農業を取り巻く環境の変化に伴い、田中ファミリーは南カリフォルニアで農業を続けていくために、常に創意工夫を重ねてきました。
そして2023年、田中ファームは現在のユニバーシティ通りの場所に移転してから、25周年を迎えました。